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三島由紀夫の父親・母親・兄弟姉妹、祖父と祖母の家系図は?家族と生い立ち、先祖は?
小説家、
三島由紀夫。
潮騒や金閣寺、豊饒の海などの
代表作で知られ、
その美しい文体と、耽美的な作風は、
日本文学のひとつの到達点とも言えると思います。
文学の世界だけではなく、
演劇や映画、ボクシング、政治活動など、
多彩な領域で活動をした、
昭和の怪人です。
この記事は
三島由紀夫の
・ 父親と母親、兄弟姉妹は?
・ 祖父と祖母、先祖と家系図は?
・ 生い立ち、先祖は?
についてのエピソードを紹介します。
三島由紀夫の実家の家族構成と兄弟姉妹
三島由紀夫の実家における家族構成は、
父親と母親のもと、
三島由紀夫、妹、弟という構成の5人家族でした。
三島由紀夫が幼少の頃は、
祖父と祖母も同居していましたが、
父親が現在の渋谷区大山町に自宅を構えると、
祖父母とは別居するようになります。
三島由紀夫の先祖は、兵庫県加古川市の農家
三島由紀夫の本名は
平岡公威(ひらおかきみたけ)といいます。
三島由紀夫の先祖は、
江戸時代には
現在の加兵庫県古川市に住む、農民でした。
三島由紀夫の先祖は、
江戸時代後期までは、
貧農といっても良いくらいの農家で、
非常に生活は厳しかったものと思われます。
三島由紀夫の高祖父:平岡太左衛門
三島由紀夫の家系は高祖父の代に、
転機を迎えます。
三島由紀夫の高祖父、
平岡太左衛門の代に、所払いという処分を受けて、
それまで住んでいた村から離れなければならなくなりました。
平岡太左衛門の息子、平岡太吉が
領主から保護されている鳥を、射ったという罪に問われたといいます。
しかしながら、
こうした逆境にもかかわらず、
平岡家は栄えていくことになります。
三島由紀夫の曾祖父:平岡太吉の代に、豪農にまで成長
三島由紀夫の高祖父、
平岡太左衛門は農業のかたわら、
金融業をはじめました。
三島由紀夫の曾祖父、平岡太吉が、
金融業をさらに拡大させ、
豪農と言われる部類にまで成長します。
三島由紀夫の曾祖父、
平岡太吉は時代の先を読むのがうまく、
明治維新後は、
息子たちを東京の学校にやりました。
三島由紀夫の祖父:平岡定太郎は内務省の官僚
三島由紀夫の祖父、
平岡定太郎は、1863年に生まれました。
帝国大学法科大学を卒業後、
内務省に入省します。
原敬に抜擢され、
宮城県や大阪府の内務部長、
福島県知事や樺太庁長官という高官につきます。
三島由紀夫の祖父は、
官界を去ったあとも、財界で活躍していました。
三島由紀夫の祖父は、
晩年は不遇でしたが、
農民の子供として生まれながら、かなりの栄達を遂げた人物という評価がなされています。
三島由紀夫の父親:平岡梓は農林省の官僚
三島由紀夫の
父親の名前は、
平岡梓(ひらおかあずさ)です。
三島由紀夫の父親、
平岡梓は、1894年生まれ。
開成中学、第一高校を経て、
東京帝国大学法学部独逸法学科卒。
農商務省(後に農林省と商工省に分離)の官僚でした。
高等文官試験に一番の成績で合格した秀才でしたが、
農林省水産局長を最後に退官しました。
三島由紀夫と父親との関係は?
三島由紀夫の文学の才能をのばすことをせず、
三島由紀夫が書いた原稿用紙を
破いて捨ててしまったほどだったといいます。
父親の立場から、
法学部に入って官僚になることを勧めました。
しかし、
三島由紀夫の父親、
平岡梓は、
三島由紀夫を可愛がっていたようです。
実際に、
三島由紀夫と父親との関係は、
必ずしも険悪なものではなく、
三島由紀夫は没するまで
父親と母親とともに、同じ家に住んでいます。
三島由紀夫の母親は加賀藩士の儒学者の家系
三島由紀夫の母親についてです。
三島由紀夫の母親の名前は
平岡倭文重(しずえ)
三島由紀夫の母親は
1905年生まれ。
開成中学校校長の橋健三の娘でした。
三島由紀夫の母方の先祖は、
金沢藩に仕えていた儒学者の家系で、
士族身分でした。
三島由紀夫の祖母:平岡なつの先祖は?
また
三島由紀夫というと、
祖母によって溺愛されていたことも有名ですね。
三島由紀夫の祖母の名前は
平岡なつ(平岡夏子)。
1876年に、
大審院判事をつとめた永井岩之丞の長女として生まれました。
三島由紀夫の祖母の実家、
永井家の家系は、名門の武士階級で、
大身の旗本の家系です。
三島由紀夫の祖母の祖父は、
幕末の若年寄である、
永井尚志であり、
三島由紀夫の祖母の母親は、
常陸国(現在の茨城県)宍戸藩主の松平頼位の娘でした。
三島由紀夫の生い立ちと、祖母の影響
三島由紀夫の祖母は、
有栖川宮家に行儀見習いに出ていたこともあったので、
宮家や華族社会への憧れが強かったのかもしれません。
三島由紀夫を、
戦前は華族の学校であった学習院に入れるように、
考えたのは
三島由紀夫の祖母だったようで、
三島由紀夫が描いた、
みやびな世界には、
祖母の家系的な影響が強いと指摘されています。
三島由紀夫の妹:平岡美津子
三島由紀夫の兄弟についてです。
三島由紀夫には妹、弟が1人ずついました。
三島由紀夫の妹の名前は
平岡美津子。
1928年生まれで1945年になくなっています。
三島由紀夫の小説には
妹をモデルにした人物が出てくることがあります。
三島由紀夫の妹の学歴は
三輪田高等女学校卒。
聖心女子学院専門部に進学しましたが
早くなくなってしまいました。
三島由紀夫の弟:平岡千之は外交官
三島由紀夫の弟の名前は
平岡千之(1930―1996)。
三島由紀夫の弟、平岡千之は、
学習院初等科に入るもすぐに退学し、
公立の小学校に転校しています。
旧制浦和高校から、東京大学法学部に進学。
外務省に入省し、
ポルトガル大使や迎賓館長を務めました。
三島由紀夫の弟の妻は
竹中工務店の創業者の家系の一門で、
元カナダ大使の近藤晋一の娘でした。
三島由紀夫の家系図は
弟の妻の家系を通じて、
米内光政、竹下登、小沢一郎といった政治家の家系ともつながっています。
それでは
三島由紀夫の
・ 父親と母親、兄弟姉妹の経歴は?
・ 祖父と祖母、先祖と家系図は?
・ 生い立ち、先祖は?
についてのエピソードを紹介しました。