
jackmac34 / Pixabay
香淳皇后の実家:久邇宮家の家系図は?母親は島津家?父親と兄弟姉妹、家族構成は?
香淳皇后(こうじゅんこうごう)は、
昭和天皇の皇后として、64年に渡って皇后の地位にありました。
香淳皇后は、戦後、
昭和天皇にしたがって、全国をまわり、国民をはげまされました。
旧宮家にお生まれになられた
香淳皇后は、幼少の頃から、
昭和天皇の許婚(いいなずけ)として、大事に育て上げられたといいます。
この記事は、
香淳皇后(昭和天皇皇后)の
・ 実家:久邇宮家の家系図と父親は?
・ 母親の実家は島津家?
・ 兄弟姉妹と、ご実家の家族構成?
についてのエピソードを紹介したいと思います。
香淳皇后の実家、久邇宮家
香淳皇后は、
良子(ながこ)さまというお名前でしたが、
実家はどのようなお家なのでしょうか。
香淳皇后の実家は、
久邇宮(くにのみや)家でした。
久邇宮家は、当時の宮家でしたが、
現在は宮家ではありません。
戦後の皇籍離脱で、
平民となった旧宮家のひとつです。
香淳皇后の父親は、久邇宮邦彦王
香淳皇后の実家の
久邇宮家の家系図についてですが、
久邇宮家の創設は、
それほど古いものではなく、
香淳皇后の祖父である
久邇宮朝彦親王が明治時代に創設しました。
久邇宮朝彦親王は、
伏見宮邦家親王の息子であり、
伏見宮家の先祖をさかのぼっていくと、
南北朝時代の天皇にまでさかのぼります。
香淳皇后の祖母は泉亭萬喜子
香淳皇后の家系図について、
祖父は久邇宮朝彦親王ですが、
祖母は泉亭萬喜子(いずみていまきこ)という方で、
久邇宮朝彦親王の側室の方でした。
泉亭家は
下賀茂神社社家の家系であり、
香淳皇后の祖母、泉亭萬喜子の父親は、泉亭俊益という方です。
香淳皇后の母親の実家は、薩摩藩主:島津家
一方
香淳皇后の母親は、
どういう方なのかを、調査いたしますと、
香淳皇后の母親は久邇宮俔子さんというお名前です。
実家は鹿児島藩主の島津家の方です。
島津家といえば、
室町時代、戦国時代にも大名として、
鹿児島県をはじめ、一時期には九州全域にまで権勢を誇った大名家です。
島津家は、
江戸時代にも加賀藩主、前田家に次ぐ石高を持つ、
大きな藩でした。
香淳皇后の母親、久邇宮俔子さんは、
薩摩藩最後の藩主である、
島津家12代、島津忠義公爵の八女です。
島津忠義は、幕末に活躍した島津久光の息子です。
このように
香淳皇后の母方は、
島津家の出身ですので、
現在の皇室にまで、島津家の血筋がつたわっていることになります。
香淳皇后の家系図と兄弟姉妹
香淳皇后の兄弟や姉妹は、どんな方なのか、
どういった方が親戚にいらしたのか、
家系図上の関係を理解していきたいと思います。
- 久邇宮邦彦(くにのみや・くによし)王 1873-1929
久邇宮朝彦親王三男
陸軍士官学校、陸軍大学校卒
陸軍大将 元帥
近衛師団長 - 妻・久邇宮俔子(ちかこ)妃 1879-1956
島津忠義公爵の八女 - ・長男・久邇朝融 1901-1959
海軍兵学校卒
海軍中将 - ・次男・久邇邦久 1902-1935
陸軍士官学校卒
陸軍歩兵大尉
貴族院議員
久邇侯爵家を創設する - ・長女・良子皇后 1903-2000
昭和天皇の皇后となる - ・次女・三條西信子 1904-1945
三条西公正伯爵と結婚 - ・三女・大谷智子 1906-1989
京都一女卒
東本願寺法主:大谷光暢伯爵と結婚 - ・三男・東伏見邦英 1910-2014
東伏見伯爵家を創設する
青蓮院門主 東伏見慈洽(ひがしふしみ・じごう)
香淳皇后の弟は、青蓮院門主:東伏見慈洽で、妹は大谷光暢夫人:大谷智子
香淳皇后の兄弟は、6人兄弟です。
香淳皇后の弟は、
京都の歴史ある門跡寺院、青蓮院の門主だった
東伏見慈洽さん(旧名は東伏見邦英)がいらっしゃいます。
また、
香淳皇后の妹は、
東本願寺法主の大谷光暢さんの妻だった、
大谷智子さんです。
香淳皇后の実家は、
戦後の皇籍離脱によって、平民となりましたが、
さすがに
皇后陛下のご実家ということもあって、
由緒ある家系との親戚関係があるようですね。
それでは、
香淳皇后(昭和天皇皇后)の
・ 実家:久邇宮家の家系図と父親は?
・ 母親の実家は島津家?
・ 兄弟姉妹と、ご実家の家族構成?
についてのエピソードを紹介しました。