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武藤章の子孫は?妻や子供、家系図は?子供や息子、娘は?父親や母親、兄弟姉妹は?
武藤章(むとうあきら)陸軍中将は、
統制派の陸軍軍人として、
永田鉄山からの系譜を継ぐ、陸軍きっての傑物でしたが、
A級戦犯とされた人物として、歴史に残っています。
太平洋戦争開戦時の軍務局長という地位にあり、
すばらしい頭脳と、威厳を備えていた
武藤章。
終戦時には、
フィリピンの14方面軍参謀長として、
山下奉文を支えていました。
この記事は
陸軍中将
武藤章(武藤あきら)の
・ 父親と母親、兄弟姉妹、出身地は熊本県?
・ 妻や家系図は?
・ 子供は息子?娘?子孫の現在は?
についてのエピソードを紹介します。
武藤章の実家は熊本県で、先祖は医者
武藤章の実家は、
現在の熊本県菊陽町にありました。
武藤章が生まれたころは、
上益城郡白水村でした。
武藤章の実家は地主だったようです。
しかし
武藤章の家系は、
先祖代々の農家というわけではなく、
医者の家系であり、士族身分。
武藤章の先祖は代々と、
藩医をしていたのだといいます。
武藤章の父親の名前と、母親の名前は?
武藤章の
父親の名前は武藤定治、
母親の名前は武藤加野といいました。
武藤章は、子供の頃から
頭が良く、
文芸書や哲学書などを読んでいました。
武藤章は、
母親の強いすすめがあって、
軍人になることになり、
熊本の陸軍幼年学校から、陸軍士官学校へと進学することになりました。
武藤章の兄弟姉妹は?
武藤章の兄弟姉妹は、
兄が1人と姉が2人いました。
武藤章の兄は、
医者になり眼科医になったようです。
先ほど触れたように
武藤章の実家は地主でしたが、
もともとは農家ではなく、医者の家系でしたので、
武藤章の兄は
医者になったのでしょうか。
武藤章の従兄は、陸軍軍人
しかし、
武藤章の家系にも
軍人の方がいたようです。
井上喜伝という陸軍大尉が、
武藤章からみると従兄(いとこ)にあたり、
武藤章は、
この井上喜伝の養子に一時期なっているのです。
武藤章の母親が、
軍人になるためには、軍人の子供の方が有利だと考えたからのようで、
陸軍幼年学校から陸軍士官学校までは、
井上章という名前だったようです。
その後、また、
武藤姓に戻っています。
武藤章の妻や子供、家族、家系図は?
武藤章の妻や、子供、
家族構成や家系図についての話は、どうでしょう。
武藤章の妻は、陸軍軍人の娘でした。
尾野実信陸軍大将の娘と結婚しています。
尾野実信(みのぶ)陸軍大将は、
福岡県の旧黒田藩士の家系出身で、
陸軍大学校を首席で卒業した、陸軍のエリート軍人で、
陸軍次官までつとめた人物です。
尾野実信は長生きで、
1865年生まれですが、終戦直後の1946年まで存命でした。
武藤章の妻
武藤章の妻の名前は、
武藤初子さんです。
武藤章の妻、
武藤初子さんは明治36年生まれ。
武藤章が明治25年生まれですので、
年齢は9歳年下です。
武藤章の子孫は?子供は息子?娘?
武藤章の子供や、現在の子孫は
どのようになっているのでしょうか。
武藤章には、
妻との間に子供はいませんので、
武藤章の直系の子孫の方は、いません。
武藤章の子孫の現在
しかし、
武藤章の子孫の家系が途絶えているというわけではなく、
武藤章は養子をとっていて、
その家系が続いているのではないか、と見られています。
武藤章の養子は、
武藤章の妻、武藤初子の姪にあたる方なのだそうです。
武藤章の直系の子孫は途絶えてしまったのですが、
武藤章の子孫の家系は、
こうした形で続いているみたいです。
それでは、
陸軍中将
武藤章(武藤あきら)の
・ 父親と母親、兄弟姉妹、出身地は熊本県?
・ 妻や家系図は?
・ 子供は息子?娘?子孫の現在は?
についてのエピソードを紹介しました。